自分の常識を疑うには…
【成し遂げたことで私を判断するのではなく、
失敗して再び立ち上がった回数で判断して欲しい】
1918年の今日7月18日、南アフリカで
ネルソン・マンデラ氏が生まれました。
…そして2013年12月5日に95歳で亡くなるまで
彼は激動の人生を生きました。
アパルトヘイトという人種隔離政策への反対運動により、国家反逆罪で27年も獄中生活を送り、
釈放された3年後の1993年にはノーベル平和賞を受賞、翌年には南アフリカの大統領となりました。
そんなマンデラの獄中時代の言動を監視するよう命じられた、白人の看守ジェイムズ・グレゴリーの手記を元につくられた映画が 「マンデラの名もなき看守」 です。
幼少期の友達との交流によって覚えたコサ語をマンデラも話すところから、この大役に抜擢されたのですが、はじめは他の白人と同じように、マンデラのことを “極悪テロリスト” だと思っていました。
ところが彼と直に接しているうちに、彼の人間性や考え方に次第に魅かれていき、大きな気づきを得るのです。
「あなたに逢って、知った。世界は間違いだらけだと」
私たちが観念を通して見ているのは、“自分にとって正しい世界” なので、自分の常識を疑うという
行為は、言葉でいうほど簡単なことでは無いと思います。
でも、もしもこれをするためのカギがあるとすれば、自分と違う意見を持った人の話を
“聴く” ことではないでしょうか?
一度、自分の中にある正しさを脇に置いて、とにかく相手の話を耳を傾けて聴いてみる…
相手の話が正しいかのジャッジをせず、解決策を導こうとするのでもなく、お互いの立場や年齢、性別なども全て手放したフラットな状態で、ただ目の前の相手が何を感じ、どんな考えを持っているのか
…相手のことを知りたいと思って聴いてみる。
そうすれば、自分の枠を越えられるようになり、人と深く理解し合えるようになる
…ということを解っていても、まだまだ出来ていない私がいるのですが…(^_^;)