我が心は大風の如く君にむかへり
【君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠れるを信ずるなり 】
1941年の今日8月20日は、高村光太郎の詩集
「智恵子抄」が刊行された日です。
写真は智恵子が “ほんとの空がある” と言った
そして、冒頭の言葉は「郊外の人に」という詩の一部です。
最後に全文を掲載させて頂きますが、この詩は智恵子と出逢った翌年に書かれた詩です。
私なりの勝手な要約ですが、
「 私は自分を汚れた人間だと思っているのに、君(智恵子)が私の中から、幼子のような清らかさを
見出してくれるから、私自身が今まで気づくことがなかった温かなものを我が身の奥にあると
信じることが出来るようになった 」
…と書かれています。
後年智恵子が統合失調症になってから、光太郎が献身的に見舞う姿に深い愛情を感じるのですが、
それは智恵子がずっと出逢った頃から、光太郎の中にある美しく清らかで温かいものの存在を感じ
そのことを伝え続けたからだと思います。
これほどの深い愛情を注がれ続けたからこそ、光太郎は自分自身に対しても、自分の中から生まれる
作品に対しても、自信を持つことが出来るようになったのでしょう。
人はつい、誰かから深く愛されたいと願ってしまうものだと思います。
私自身もずっとそう願っていましたが、いまはそれよりも、智恵子のように誰かをこれ程までに
愛することが出来るような人になりたい …そんな風に思うのです。
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郊外の人に
わがこころはいま
愛人よ
いまは青き
されば安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児のまことこそ君のすべてなれ
あまり清く透きとほりたれば
これを見るもの皆あしきこころをすてけり
また善きと悪しきとは
君こそは
汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見いでつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに
冬なれば
音もなき夜なり
わがこころはいま大風の如く君に向へり
そは地の底より湧きいづる貴くやはらかき
君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり
わがこころは君の動くがままに
はね をどり 飛びさわげども
つねに君をまもることを忘れず
愛人よ
こは
されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児の如く眠れかし