夢の種をまくとき
【ものを観るのに、目を開けただけでは足りない。
心の動きがなくてはならない。】
1814年の今日、10月4日にフランスで誕生し、
農民画を多く描いた画家
ジャン=フランソワ・ミレーの言葉です。
ミレーは本国フランスよりもアメリカで先に認められ、
農業が盛んな日本でも早くから受け入れられました。
「種をまく人」は、岩波文庫のシンボルマークに使われています。
私はずっと知らなかったのですが、敬虔なキリスト教徒であったミレーが描いた、この「種をまく人」は、キリストを農民にたとえた姿で、信仰という名の種をまくキリストの姿なんだそうです。
そのことを知って、改めてこの絵を心で観たとき、私が一番に感じたことは、
この種をまく姿が「自然体」 であることです。 いい意味で、力が入っていないんですね。
私はつい、自分が意図する方に物事を運ぼうとして、力みすぎてしまうことがあったりします。
「こうなりたい!」
「こうであったらいい!!」
そう思うことは大切なのですが、その想いが強くなりすぎると
「こうあるべきだ!」
「こうでなければならない!!」
になって、夢や理想が、エゴや執着に変わってしまうのです。
この絵の「種のまく人」は、種に向かって “必ず芽を出すんだぞ!” っといったエゴを持っているようには見えません (笑) ただ、種をまいているだけなんですよね、きっと。
それはこの時、心の中では芽が出ることを知っているからです。どれくらいの割合で、どの種が芽を出すのかはわからなくても、ちょうどいい具合に芽が出ることが解っている…
この姿こそ、夢の種をまくときの理想的な心の在り方なんだなぁって、そんなことを教えてもらいました。
これからは、岩波文庫のマークを見たら、
「いまの私は自然体?」
そう、問いかけてみようと思います (#^.^#)