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dramaticlife-japan’s blog

ドラマティック・ライフは、「自己啓発セミナー」×「レイキ」の教えを融合させたオリジナルセミナーを定期的に開催しています。

音のある世界へようこそ!

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 【ハリウッドでは、“それ” から逃げられない】

 

1927年の今日10月6日は、世界初のトーキー映画

「ジャズ・シンガー」がニューヨークで公開された日。

 

トーキー映画というのは、無声映画の対義語である

発声映画のことで、Moving Picture を “ Movie ”

と呼ぶのにならい、“ Talking Picture ” から

出来た言葉だそうです。

 

 

それまで無声だった映画が、ここから飛躍的に技術革新して、今では映像と音が同時に流れることが当たり前すぎて、“トーキー映画”  なんて言わないですね (^_^;)

 

新たな技術が開発されていくということは、どんどん世の中が良くなっていくこと…

なのかもしれませんが、無声だから良かったということも少なからずあるようで、声を出したことによって俳優の一部の方たちが仕事を失ったというのですから、意外な被害があるものですね?!

 

 

冒頭の言葉は、この約2年後1929年に「PHOTOPLAY」の雑誌の表紙に書かれた文字で、無声映画の頃には絶大な人気があった女優、ノーマ・タルマッジ(上の写真)の絵が描かれています。

 

“それ”  というはトーキー映画のことで、声が出てしまうので、彼女は下品な声を隠すことが出来なくなったという皮肉が込められているのです。

 

このような時代の変化は、いつの世にも多かれ少なかれ起こることですね。

なのでもし、あなたがこの時代のノーマ・タルマッジの立場だったら?? ということを、少し想像してみてください。

 

どんな感情を思い浮かぶでしょうか?

 

「やり切れない」、「悔しい」、「プライドが傷つけられた」…

そんな想いでいっぱいになったでしょうか?

 

でも、こう考えた方もいらっしゃるのでは?

 「無声映画の時代に、女優でいられて良かった!!」

 

そう、私たちは 出来事のどの部分に焦点を当てるかによって、感じる感情さえも自分が選択出来るんですね (^_-)-☆

夢の種をまくとき

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【ものを観るのに、目を開けただけでは足りない。

     心の動きがなくてはならない。】

 

1814年の今日、10月4日にフランスで誕生し、

農民画を多く描いた画家

ジャン=フランソワ・ミレーの言葉です。

 

ミレーは本国フランスよりもアメリカで先に認められ、

農業が盛んな日本でも早くから受け入れられました。

「種をまく人」は、岩波文庫のシンボルマークに使われています。

 

私はずっと知らなかったのですが、敬虔なキリスト教徒であったミレーが描いた、この「種をまく人」は、キリストを農民にたとえた姿で、信仰という名の種をまくキリストの姿なんだそうです。

 

そのことを知って、改めてこの絵を心で観たとき、私が一番に感じたことは、

この種をまく姿が「自然体」 であることです。 いい意味で、力が入っていないんですね。

 

私はつい、自分が意図する方に物事を運ぼうとして、力みすぎてしまうことがあったりします。 

 

「こうなりたい!」

「こうであったらいい!!」

 

そう思うことは大切なのですが、その想いが強くなりすぎると

 

「こうあるべきだ!」

「こうでなければならない!!」

 

になって、夢や理想が、エゴや執着に変わってしまうのです。

 

この絵の「種のまく人」は、種に向かって “必ず芽を出すんだぞ!” っといったエゴを持っているようには見えません (笑) ただ、種をまいているだけなんですよね、きっと。

 

それはこの時、心の中では芽が出ることを知っているからです。どれくらいの割合で、どの種が芽を出すのかはわからなくても、ちょうどいい具合に芽が出ることが解っている… 

 

この姿こそ、夢の種をまくときの理想的な心の在り方なんだなぁって、そんなことを教えてもらいました。

 

これからは、岩波文庫のマークを見たら、

「いまの私は自然体?」

そう、問いかけてみようと思います (#^.^#)

奇跡の世界への入口

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【無知というのは、

    しばしば知識よりも確信に満ちている。】

 

 進化論で知られるチャールズ・ダーウィンの言葉です。

 

 

22歳のダーウィンを乗せたビーグル号は、

1831年12月27日に出港し、3年の予定を大幅に超えた

1836年の今日10月2日にファルマス港に帰着しました。

 

 

ダーウィンはこの航海でガラパゴス諸島をはじめ、さまざまな土地で多種多様な生物を観察できた

ことが、のちの進化論に大きな影響を与えたと感じていたようです。

 

生物学と言われるとちょっと取っ付きづらいイメージですが、なんとウォルト・ディズニー

ダーウィンを題材にした映画を企画しているようなので完成が楽しみです◎

 

 

さて冒頭の言葉は、知識がある人よりも、無知の人の方が自信があると言っているのですが、この言葉には続きがあります。

 

「さまざまな問題を科学によって解決することは絶対にできない、と主張するのは、

  決まって知識がない人である。」

 

私はこの文章を読んでドキっとしました。

ダーウィンが指す “無知” …これこそが、私たちが陥りやすい常識という名の観念で、これによって

私たちは自分や周りの人の可能性の芽を摘んでしまうことがあるからです。

 

自分が想像できる範囲以外のことを言われると、

「そんなこと、絶対にムリ!」 「あり得ない!」 …なんて、実は私も以前はよく言ってました。

でも、この “絶対にムリ” に対して「ホントにムリなの?」って疑問を感じ始めると、意外と

 

「 “絶対にムリ” って思ってたことが、出来ちゃうもんなんだぁ!!」

 

って思うような出来事が日常に増え始めて、いまでは、

 

「 “絶対にムリ” って言えることの方が少ないかもしれない?!」

 

…なんて思えているほど、気づかぬうちに多くの奇跡に触れさせてもらいました。

 

いきなり180度違う発想に変えることは簡単ではないですが、

“いままでよりも少し広い可能性を探してみる”

これが、日常の中にある奇跡に触れる世界への入口かもしれません。

 

今日の写真はガラパゴス諸島に生息している “青脚鰹鳥(アオアシカツオドリ)” 。

 

ペンキの容器に足を入れてしまった!! (≧∇≦) …みたいに、青い脚がウソみたいにかわいい♪

 

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

 
種の起原〈下〉 (岩波文庫)

種の起原〈下〉 (岩波文庫)

 

 

衣替えシーズン

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【四時の序、功を成すものは去る】

 

今日10月1日は、年に2回の衣替えの日。

 

この衣替えは平安時代からある風習で、

はじめは着るものだけだったものが、後に装飾品までも

季節によって変えるようになっていったのだそうです。

 

気が付けば、街のショーウィンドウはすっかり秋の装いで

加えて至る所にハロウィンの装飾が…

 

まぁ楽しむことが何より幸せなことだと思うのでいいのですが、私自身は本当にささやかに

日常のスペースに季節を取り入れられるような、粋な心遣いが出来るような人になりたいなぁと思います。

 

 

さて冒頭の言葉は、新しい季節が来たら、その季節に場を譲るのが自然で美しい…

 

つまり、成功者だからといって、いつまでもその座にしがみ付くのではなく、役目を全うしたら、

次の者へきちんと道を譲ることが出来て、本当の成功者だという意味だそうです。

 

成功者というと他人事に思えてしまうこともありますが、人というのは誰もが自分を認めて欲しいという欲を思っているようなので、そのことに気づかずにいると知らぬ間に自分の成功体験や自慢話を何度も繰り返し語っていたりします。

 

たとえ私が、どんなに過去の成功体験を熱く語ったとしても、相手が見ているのは 

“いま目の前に存在する姿” です。なので成功体験という話の内容よりも、その体験によって、私がどうあるかということを見ているということです。。。

 

成功体験をどう自分に活かしていくのか?

自分の役割は何なのか?

 

そんな一旦止まって自分自身を観る機会を、このドラマティク・セミナーを開催する度に、

私も受講された方と一緒に毎回、考えさせられています。 

難民映画祭

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君のためなら千回でも!】

 

1947年の今日9月30日は、

パキスタンとイエメンが国連に加盟した日。

 

そして国連機関のひとつである

UNHCR国連難民高等弁務官事務所)が、

明後日の10月2日から

「第10回 難民映画祭」を開催するのですが…

 

 

この映画祭の第3回で上映された作品のひとつが、アフガニスタンパキスタンが舞台となっている

君のためなら千回でも」 という作品です。

 

この映画は、アフガニスタンで恵まれた環境で暮らしていた12歳の少年アミールと、

その家の召使いの子、ハッサンとの友情が描かれています。

 

ただ、舞台となっているアフガニスタンは、

1979年にソ連による侵攻があり、

1989年にソ連軍が撤退した後は国内全土に内戦が広がり、

1994年にはタリバーンが勢力を拡大して後にタリバーン政権を誕生させ、

2001年のアメリカ同時多発テロ以降は、アメリカ軍が空爆をおこないアフガニスタン紛争が起こった、

激動の国。

 

アメリカに亡命していた主人公のアミールが、2000年にアフガニスタンに戻ったとき、そこは

祖国でありながら命の保障が無いような国に変わっていました。

 

「自分の国なのに、旅行者の気分だ」 そういうアミールに、案内人は答えます。

「君は、いつも旅行者だったんだ」

 

国を離れ、安全な場所で生きてきた君に、ここを “自分の国” と呼ぶ資格はない…

逃げたくても逃げられなかった人にしてみたら、亡命者は「ただの旅行者」ほどにしか想えないもの

なのかもしれません。

 

確かにアミールは、逃げてばかりだったかもしれませんが、そんな彼の人生で宝物のような言葉が

 

君のためなら千回でも」 なんです。

 

 

私はこの映画を観て、アフガニスタンという国のこと、そして、いまもなお命の危険に晒さらされ、

理不尽な暴力に屈しなければ生きられない子供たちが存在していることを再認識しました。

 

そして、そんな歴史的背景の中で、アミールとハッサンの二人が、

友情や裏切りに悩み苦しみながら生きる姿を通して、人としての在り方を考えさせられた映画でした。

 

 「君のためなら千回でも

 こんな、見返りのない愛の言葉を言える人でありたいです◎

 

君のためなら千回でも [DVD]

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君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)

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君のためなら千回でも(下巻) (ハヤカワepi文庫)

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天使の日

 

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【迷うほどの広大な自然はあっても、

          人混みにまぎれることはない】

 

1549年の今日9月29日に、聖フランシスコ・ザビエルは

薩摩藩島津貴久と謁見し宣教の許可を得ました。

 

ちょうどこの日が聖ミカエルの祝日であったことから、

日本カトリック教会の守護者が

大天使 聖ミカエルになったのだそうです。

 

 

なのでヨーロッパでは、今日は大天使 聖ミカエルの祝日で、収穫祭のような意味もあるそうです。

 

さて、天使と聞いて思い出す映画というと、「この森で、天使はバスを降りた」です。

 

冒頭のセリフは、主人公のパーシー(アリソン・エリオット)が故郷で負った深い傷を癒すために、

第二の人生の舞台に選んだ田舎町、ギリアドを表現した言葉。

 

私はこの映画のタイトルから、“ほんわかした映画” だとずっと思っていたのですが、

映画の序盤で、閉鎖的な町の人たちの好奇な目に晒されていることに嫌気がさしたパーシーが、

「ねぇ、ハナ? 私が5年刑務所に入ってたって、もうあなたに言ったっけ?」

とみんなに聞こえるように大声で話すシーンを見て、想像していたタイプの映画じゃないと解りました。

 (ただ、後半はさらに想像と違う展開になり、何だかどんよりした気持ちに… ( ̄∇ ̄;) )

 

とはいえ冒頭の言葉にもあるように、美しく広大な自然が映画の中にもたくさん散りばめられていて、

特にパーシーが森で歌うシーンは、観ている私も大自然の中に居るような心地良さを感じていました。

 

広大な大自然と、人との交流によってパーシーは徐々に心を癒していきます…

 

 

心の傷を癒してくれるもの… それは、パーシーのように大自然であったり、時間であったり、

人と本気で向き合うことであったり、時には私が主催しているセミナーやカウンセリングなどが

役に立つこともあるかもしれません。

 

けれど私が何より大事だと思うのは、その人自身が持っている治癒力です。

 

傷付いていることを認め、その傷に目を向けたときに、癒されることへの許可が下りるからです。

 

癒されることも、より自由に生きることも、幸せになることも…

すべての許可を、私たちは自分が出しているのですから。

 

この森で、天使はバスを降りた [DVD]

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Paper Moon

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「あなた惨めなの?」

 

昨日の9月27日は中秋の名月、そして

今日9月28日はスーパームーンということで、

2夜連続、「月」が注目されています。

 

 

…という訳で、

最近観た「月」の映画が「紙の月」です。

 

 

冒頭の言葉は主人公の梅澤梨花宮沢りえ)が捕まりそうになっている自分を「惨め」と表現したときに、同僚の隅より子(小林聡美)が言った印象的なセリフです。

 

「最も美しい横領犯」といサブタイトル通り、主人公が犯罪に手を染めていく姿が描かれている映画。


そもそも、この「紙の月」というタイトルが気になったので調べてみたら、どうやら英語の 

“Paper Moon”  から来ているようで、この英語には紙の月という意味以外に

作り物という意味があり、

その背景には、まだカメラが各家庭に普及する前のアメリカで、作り物の三日月に座って

記念写真を撮るのが流行ったことがあったからのようです。

 

月に座っている写真は、本来は手が届かないはずのモノを手に入れている姿… なのでしょうね。 

 

たとえ、それがホンモノでなくても…

束の間の喜びであることを知っていたとしても…

 

 

「あなた惨めなの?」

 

そう、私たちは自分が犯罪者にならない為に、常識という名の “観念” を持っていて、危険なことから守ってくれています。けれど観念が強くなり過ぎると、この映画の隅さんのように、銀行員として正しく働くために夜更かしさえ出来なくなります。

 

横領犯になった主人公と、正しさ故に単調な生活を繰り返す隅さん…

 

どちらが、惨め? …そう問いかけられている気がしました。

 

犯罪者になるのは極論ですが、もし自分の中に二人のキャラクターが存在するとしたら、どちらを強く出す人生を選択していきたいと思うでしょうか?

 

紙の月(=Paper Moon)を、人は所詮ニセモノだと笑うかもしれません。

けれど、その瞬間、自分がホンモノの喜びを手にすることが出来たなら、

月自体が本物でも偽物でも関係ないのかもしれません。

 

そうやって考えると、自分の世界をホンモノにする力は、

その人の中にしか存在しないことが良くわかります。

 

 

紙の月 (ハルキ文庫)

紙の月 (ハルキ文庫)