dramaticlife-japan’s blog

ドラマティック・ライフは、「自己啓発セミナー」×「レイキ」の教えを融合させたオリジナルセミナーを定期的に開催しています。

奇蹟がもたらす最後の晩餐

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 【理解するための最良の手段は、

     自然という無限の作品を

         たっぷり鑑賞することだ。】

 

 

1943年の今日8月16日、イタリアのミラノにある

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエという、

聖堂よりも食堂が有名な教会が、第二次大戦

連合軍の爆撃で大きな被害を受けました。

 

 

 

なぜ食堂が有名なのかと言うと、その壁にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が描かれているからです。

 

私もミラノを旅行した時にこの壁画を観に行ったのですが、「想像してたより小さいなぁ…」というのが

第一印象でした。

 

冷静に考えると横幅が9.1mですから、それほど小さいわけではないはずなのですが、恐らく長方形の

部屋の短辺の壁の方に描かれていたこと、勝手にシスティーナ礼拝堂のような大きな部屋をイメージ

していたことが、この感想の要因なんじゃないかと思います。

 

そして遠近法を使っていたり、十二人の使徒の表情が丁寧に描かれている絵のせいか、放出しているような芸術的エネルギーをというより、緻密な計算の上に描かれているが故の秘められたエネルギーを感じました。

 

 

この空襲後には、長い間風雨さらされていたり、大戦以前のナポレオン時代にはこの食堂が馬小屋に

使用されていたり、またそもそもこの壁画がテンペラという剥離しやすい顔料で描かれていること

などを考えると、この壁画がこうして現在も鑑賞できるレベルで残っていることが奇蹟なんだそうです。

 

崩壊してなくなっていくもの、その中でも残っていくものという紙一重の偶然…

そして大きな意味で言えば、こうした奇蹟と奇蹟が重なりあって出来ているこの現実世界も自然の摂理であり、この創られた世界からどんな意味を見出すのかが、それぞれの人に与えられた才能なのかもしれません。

 

ルネサンス期の天才は、冒頭の言葉からも解るように、こうした大小含めたあらゆる自然の摂理を自身の五感によって、より深く理解していったのだと思います。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ―時代を超えた天才 (ビジュアル版伝記シリーズ)

レオナルド・ダ・ヴィンチ―時代を超えた天才 (ビジュアル版伝記シリーズ)

 

 

日本のいちばん長い日

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“永遠の平和”

 

「日本のいちばん長い日」を観てきました。

 

私は歴史に詳しいほうではないので

登場人物を理解するのが大変でした。

 

2度観て理解できる映画だと友人から聞きましたが、

本当にそうだと思います。

 

 

なので正直、完全には理解出来ていないと思うのですが、ただ70年前の8月14日から15日にかけて、

多くの人たちがそれぞれの “正義” と闘っていたことが解り、いまここにある平和は、戦争が終わったからではなく、終わらせた人たちのお陰だということを知ることが出来ました。

 

この作品は1967年にも岡田喜八監督が映画化しているのですが、当時は昭和の時代なので昭和天皇

描くことが出来なかったんだそうです。

けれど今回の原田眞人監督の映画では、昭和天皇本木雅弘さん)がどのような人だったのかを

窺い知ることが出来ました。

 

また、興味深く思ったのは、クーデターを企てた陸軍の若手将校、畑中健二少佐(松坂桃李さん)は、

行動だけをみると狂気的に感じてしまいますが、原作者の半藤一利さんが取材のために彼を知る人を

尋ねたところ、誰ひとりとして悪く言う人がいなかったばかりか

 

「あのぐらい日本の国を思い、あのぐらい自分のことを構わずに、

自分の考えている信念に一直線に進むことが出来た人間というのは、他に居なかった」

 と言われるくらい、評判のいい方だったそうです。

 

そして、最後は鈴木貫太郎総理大臣(山崎 務さん)。戦争を終わらせ、3年後に亡くなられたのですが、そのときに二度も「永遠の平和」と言われたそうです。

 

この映画を観ると、命を懸けてこの平和を築いてくださった方がいたことが解ります。

その平和を、私は後世に引き継いでいきたいと切に願います。 

 

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

 

誕生日、ありがとうございます!

【誕生日ありがとうございます♪】

 

今日は私の誕生日です。

私を生んでくれた両親はもちろん、私と出会い、私を育ててくださった

ご縁のある皆様に心から感謝しています☆ そしてこれからも、宜しくお願い致します<(_ _)>

 

 

☆*:;;;;;:*☆☆*:;;;;;:*☆☆*:;;;;;:*☆☆*:;;;;;:*☆☆*:;;;;;:*☆

 

 

…ということで、ご先祖様への感謝も込めて、改めて自己紹介をしたいと思います。

 

私は山梨県民の父と東京都民の母の元に、東京で生まれ育ちました。

 

なので子供の頃は、いまの時期になると父の田舎に帰り、富士山や八ヶ岳清里高原などに行って

湧水を飲んだり、川で泳いだり、トンボを取ったりといった東京では出来ない、自然と触れ合う

貴重な時間を過ごしていました。

 

一方、母は新宿から歩けるくらいの場所で育ったので都会育ちかと思いきや、母の子供時代の新宿は

何も無かったそうです。

母の実の父親は東京大空襲で亡くなったため、母は父親の顔すら知りません。

 

そして祖母が生活のためにすぐに再婚したために、母は義父から虐待を受けていたそうです。

(虐待のことは大人になってから叔母に聞きました。)

 

そんな祖父が亡くなってから、私がひとり祖母の家に遊びに行ったとき、

 「あんたの本当のおじいちゃんは研究者だったからね、おばあちゃんと違ってとっても頭が良くて…」

なんて話してくれたことがありました。


新婚時代を思い出していたのでしょうか?

そう話す祖母の顔がとても明るかったことを、いまでもよく覚えています。

 

そんな訳で、母と一緒にお墓参りに行くときは、必ず両国に行きました。

 

両国に何があるかご存知の方が、どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

両国には東京都慰霊堂といって、関東大震災東京大空襲で被害に遭った身元不明の遺骨が納められている場所があるのです。

 

靖国神社は軍人として亡くなった方たち… そこへ政治家が参拝する度にニュースに取り上げられますが、

戦争で亡くなった名もなき国民の霊が祀られている東京都慰霊堂に政治家が来ることは、恐らくないと思います。

 

奇しくも明日、敗戦から70年。私は戦争を知らないけれど、祖母や母の悲しみを感じることはできます。

 

なので、戦争を体験した祖母の血を引く私は、やはり自分が感じることを正直に伝えていきたいと思います。

  

私は、もし目の前で幼児が道路に飛び出しそうになったら、抱きかかえてでも止めます。

そしてその後に、なぜ飛び出してはいけないのかを教えます。

安全な社会を目指すことは大切ですが、並行して幼児には交通ルールを教えなくてはいけないと思うのです。

 伝えるべきことを伝えていくことは大人の役目です。

 社会で起きた、またはいまも起きている負の部分を知ろうとすること、そして伝えていくことは、今の時代に生きている私たち全員の課題だと私は思っています。


では最後に、私と同じ誕生日に生まれたイギリスのオペラ歌手サラ・ブライトマンが歌う

「Nella Fantasia」を聴きながら、これからも私は明るい世界を目指していきます◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sarah Brightman NELLA FANTASIA - YouTube

 

イメージの中で、私は完璧な世界を思い描いてみる、
全ての人が平安に素直に生きれる世界を。

魂がいつも自由であることを私は夢見てる、
まるで空を飛ぶ雲のような
人間らしさに満ち溢れた魂となることを。


イメージの中で、私は明るく澄んだ世界を思い描いてみる、
夜中でさえも、暗闇ほどではなく。

私は魂がいつも自由であることを夢見る、
それはまるで、雲が空を飛ぶかのように。


イメージの中、温かい風がそこにあって
それはまるで友のように、町から町へと吹きぬけていく。

魂はいつも自由なんだと、私は夢見る
まるで空を飛ぶ雲のように、
より人間らしさに溢れた魂となって。

略すと…リズのクレパ (笑) ?!

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【国を支配しているのは男。

        その男たちを支配しているのは私。】

 

…いかにも絶世の美女と謳われた

         クレオパトラらしい名言です!!

 

紀元前30年の今日、7月12日は古代エジプト

プトレマイオス朝の最後のファラオ

クレオパトラ7世が毒蛇に胸を噛ませて

自殺したと言われています。

 

 

冒頭の威厳ある言葉といい、世界三大美女といわれる容姿といい、私の中で想像するクレオパトラは、

まさにエリザベス・テイラーが演じた姿そのものです。

 

けれど実際には絶世の美女だったという証拠はあまり無く、肖像も硬貨に横顔が残っているだけなので

容姿が美しかったというのは、後世の人たちの願望や想像がつくり上げた姿なのかもしれません。

 

でも、だとしたらなおさら、どのようにして男性たちを虜にしたのでしょうか???

 

その重要な要素のひとつは、彼女の知性だと言われています。

複数の外国語を話すだけでなく、諸国の文化をよく知り、そして意中の相手が欲しいと思うような

情報を提供することができたからだと…

 

確かに、王に君臨するような男性ならば、単に見た目が美しい女性を手に入れることなど簡単に

出来たでしょう。

けれどクレオパトラは、クレオパトラにしか持ち得ない魅力を最大限に活かしていたために、

“ 彼女を手に入れたい! ”  そう思わせることに成功したのかもしれません。

 

自分を最大限に活かして生きる!

紀元前に生きたクレオパトラが、現代の私たちに

一番大切なことを教えてくれているのかもしれません。。。

 

 

 

あなたの志は?

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【大事なことは、誰がなんと言おうと、

        一直線に志に向かっていくこと。】

 

今から58年前1957年の今日、8月11日に

ソフトバンクグループの創業者である

孫正義氏が佐賀県鳥栖市に生まれました。

 

幼少期に、同年代の子供たちから「朝鮮人!」と言って

石を投げつけられるような差別を経験したために、

在日韓国人であることを悩みながら育ったそうです。

 

 

けれど起業する時にはあえて日本名の「安本」ではなく、韓国名の「孫」を名乗りました。

家族からは、韓国人であることを明かせば事業がやり辛くなることを理由に猛反対されたようですが、

それでも彼は 「たとえ十倍難しい道であっても、俺は人間としてのプライドを優先したい」

と言って、「孫」の名を堂々と名乗って起業したのです。

 

そこには、自分が事業で成功することによって、いまも何十万人といる在日韓国人が、今後日本人と同じように正当に評価され、暮らしやすくなることを願う彼の想いがあったのです。

これこそが彼の志だったのですね!!

 

 

人生を振り返ってみた時に思い出す、悲しい体験や辛かった想い… 

もしかしたら、それこそが、あなたの中で “志” を目覚めさせてくれるものなのかもしれません。

 

ネガティブな体験を自分の人生の “負” と認識して、蓋をしていませんか?

その蓋を、今のあなたなら開くことが、

そして、それを新しい感覚で捉えることが出来るかもしれません。

 

 

ところで今日の写真は何? って思われているでしょうか(# ̄ー ̄#)???

  

一年後の今日は山の日の祝日♪

 …で、山の映画と言えば「コールド・マウンテン」

ということで、夏バテ気味の女性のためにジュード・ロウです(笑)!!

 

 

最近の孫さんのツイッター名言「髪の毛が後退しているのではない。 私が前進しているのである。」

ジュード・ロウ前進しているんですね。(^_^;)

 

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

志高く 孫正義正伝 新版 (実業之日本社文庫)

 

 

17歳の彼が見たのは…?

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【僕を知りたければ、作品の表面だけを見てください。

            裏側には何もありません。】

 

 1928年の今日、8月6日にポップアートの巨匠

 アンディ・ウォーホルはアメリカのペンシルベニア州

スロバキアの移民の子として生まれました。

 

1970年に発行された「ライフ」誌で、1960年代に

もっとも影響力のあった人物としてビートルズと共に

選ばれたことからも、いかに彼の作品や言動が

多くの人を刺激したかがわかります!!

 

キャンベル・スープ缶、エルヴィス・プレスリー毛沢東電気椅子、などなど…

モチーフにするモノも他の人とは違っています。

 

そして彼が17歳の誕生日に投下された広島の原爆も作品にしています。

 

冒頭の言葉からもわかるように、彼は芸術家の内面を探られることを嫌い、徹底的に表面的なものでしかないことを強調しました。

 

けれど、何かの制作に携わる方なら、きっと彼のこの言葉に違和感を覚えると思います。なぜなら、制作者の中に何かしらの “想い” が無ければ作品は生まれませんし、仮に生まれたとしても他の人を惹きつけるだけのエネルギーなど宿るはずがないからです。

 

それでもあえて、彼が内面を探られないような発言を続けたのは何故なのでしょうか…??

私はアンディ・ウォーホルという人を深く知っている訳ではないので、これはあくまでも想像にすぎませんが、彼の本心は恐らく、作品を観たそれぞれの人が、その人なりの答えを見出すことを願っていたのではないかと思います。

だからこそ、制作者が持っている一つの “答え” を、与えないようにし続けたのではないかと…

 

「この作品を観て、何を思った? 何を感じた? もっと感じて!!」

私には、彼がそう話しかけて来るように感じます。

 

繰り返される日常の中で、危険なことやおかしなことにも、どこか “麻痺” してしまっている私たちへ、何かしらの警告を彼は発している… 私はそんな風に思うのです。

 

ぼくの哲学

ぼくの哲学

 

 

モンローという名の仮面

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【 これまでの人生でずっと、

 「私は愛されない人間なんだ」って思ってきた。

 けれど私の人生で、もっと悪いことがあったことに

 はじめて気がついたの。

 私自身が、心から人を愛そうとしてなかったのよ。】

 

 

1962年の今日、8月5日に世界中で愛された女優

マリリン・モンローがロサンゼルス郊外の自宅で

亡くなっているのが発見されました。

 

死因は睡眠薬の大量服用によるもので、当初は自殺、1980年以降は謀殺説が考えられているようですが、真相は謎のままです。

 

ノーマ・ジーンと名付けられた少女は、幼少期に両親が離婚し、親権者の母親が精神病を患ったために

9歳の時から孤児院に入り、さまざまな家に里子に出されたそうです。

そして、16歳でモデルの仕事を始めたことをきっかけに、彼女の人生が大きく変わります。

 

きっと彼女は、どうやったら人(…特に彼女の場合は養家の主である大人の男性)に嫌われずに済むのかという術を、無意識のうちに悲しいほど身に着けてしまったのではないかと思います。


そしてその術を最大限に活かすために髪を金髪に染め、ほくろを付け、セクシーな衣装を着て、目線や話し方、歩き方、さらにはスキャンダルさえも武器にしながら、彼女は自ら “マリリン・モンロー” というセックスシンボルを創り、見事に演じ続けました。

そして彼女の創りだした作品は、思惑通り世界中の男性を虜にしたのです。

 

…けれど、その仮面を付けた演技が上手であればあるほど、“ノーマ・ジーン” という本当の自分が認められ、愛されることが出来ないと感じていたに違いありません。私はノーマジーンの人生を想うとき、胸を締め付けられるほどに孤独と闘う彼女を感じてしまうのです。

 

彼女ほどでは無いにしても、人は “自分ではない何者” かを演じ始めたときに、本当の自分を少しずつ削っているものなのかもしれません。

 

いまのあなたは、何%ホンモノですか??

 

 

【ブログの更新について】

第2回ドラマティック・セミナーの開催が決まり、その準備やフォローなどがあり、なかなかブログを更新できずにいて、読者登録してくださっている皆様には特に申し訳なく思っていました。

私自身、こうして好きに思ったことを書く時間も好きなのですが、先ずは本業でやるべきことを優先していきますので、暫くマイペースの投稿になるかと思います。

勝手をお許しください。